会話の隔たり

他者の他者としてじぶんの存在を感じるためには、ある種の隔たりというものを介在しなければなりませんが、他者との隔たりが極大になってしまうと、すれちがいや的外れといった現象が発生します。そこでもやはり、<間あい>というものが欠如しています。

R・D・レインは、母親の子どもに対する的外れ的応答の例を挙げています。
「五歳の男の子が、大きなふという虫を手に持って、母親のところに駆けてきて言う。<お母ちゃん、ほら、すごく大きなふとい虫を捕まえたよ>。彼女は言う。<おまえったら、きたないわ。あっちへ行って、すぐにきれいになさい。>

この会話のなかで、母親と子どもの会話はすっかりすれ違っている。母親は、虫を見せよとする子どもに対して、会話のなかで次のようなメタ・メッセージを送りつづけています。「おまえが虫を持っているかどうかは、わたしにとってもちっとも重要じゃない。わたしにとって一番大事なのは、おまえが清潔か不潔かということで、おまえが清潔なときだけ、わたしはお前を好きになる」というメッセージです。「おまえが好きになる」というのは、「おまえを認める」ということでしょう。他者に「認められる」ことが他者の他者としての自己の存在を確証するいとなみの核にあるとすれば、ここには「認める」という行為はありません。

「こんなことをしでかすやつは、わたしの息子ではない」という父の言葉に、「おまえは、わたしが息子だとわたしがいえば、おまえはわたしの息子だ。おまえはわたしの息子ではないとわたしがいえば、おまえはわたしの息子ではない」という父のメタ・メッセージを読み、それをさらに、「自分こうであるとぼくがいうところの者にぼくはなる。また、自分はこうではないとぼくがいうところの者にぼくはならない」と解釈し、ついに、「自分は指を鳴らすだけでなりたい者になれる」という妄想にはまった青年の例を、レインはあげています。
これらは、他者との隔たりが極大になってしまった例です。


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