受け入れるということ
相手を受容すること。そのために、相手の気持ちをそのまま受けとめて返す。
中川米造医療のクリニック「癒しの医療」のためにと言う本の中に、「ターミナル・ケアをめぐるアンケート」の結果があるそうです。この調査の対象は、医学生、看護学生、内科医、外科医、ガン医、精神科医、そして看護婦。このアンケートには次のような設問です。
「わたしはもうだめなのではないでしょうか?」という患者のことばに対して、
(1)「そんなこと言わないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます。
(2)「そんなこと心配しないでいいんですよ」と答える。
(3)「どうしてそんな気持ちになるの」と聞き返す。
(4)「これだけ痛みがあると、そんな気にもなるわね」と同情を示す。
(5)「もうだめなんだ……とそんな気がするんですね」と返す。
結果は医師と医学生のほとんどが、(1)。
看護婦と看護学生が(3)。
そして精神科医が(5)を選んだそうです。(5)は、一見、なんの答えにもなっていないようみえますが、実はこれは解答ではなく、「患者の言葉を確かに受けとめましたという応答」なのだそうです。
”<聴く>というのは、なにもしないでただ耳を傾けるという単純な行為ではない。それは、語る側からすれば、ことばを受けとめてもらったという、たしかな出来事である。こうして「人は、口を開きはじめる。得体の知れない不安の実態が何なのか、聞き手の胸を借りながら探し求める。はっきりと表に出すことができれば、それで不安は解消できることが多いし、もしそれができないとしても解決の手掛かりは、はっきりつかめるものである」。
聴くことが、ことばを受けとめることが、他者の自己理解の場をひらくということであろう。じっと聴くこと、そのことの力を感じる。かつて古代ギリシャの哲学者が<産婆術>と呼んだような力を、あるいは別の人物なら<介添え>とでも呼ぶであろう力を、である”
何度も何度も、ここの文章を読み返しました。普段の日常の中で当たり前のようにしている「話を聴く」というこの行為が、どれだけ他者に貢献しているのだろう。
古代ギリシャの哲学者 ソクラテス は、街角に出て対話を繰り返した。それも、自分が語るのではなく、他者のことばに耳を傾けることで、ロゴス(ことば)を導き、真の知識に至りつくその手助けをしたそうです。
話を聴こう。そこから始まる気がするのです。
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