話を聴くことで、話し手の本質に注意を向けさせる

哲学者カントが著した『道徳形而上学原論』に、哲学を勉強するものなら誰でも知っているという有名な文章があります。(ここでは、「聴く」ことの力―臨床哲学試論 から、孫引用させていただきます。)

”通常の人間理性は羅針盤を手に持って、それが現実に出会うすべての場合に、何が義務にかない何が義務に反するかを、区別するすべをまことによく心得ており、その際こちらから通常の人間理性に何か新たなことを少しも教える必要はなく、ソクラテスが昔したように、理性をして理性自身の原理に注意させるだけでよいということ。したがってまた人は正直で善良であるために、それどころか賢明で有徳であるために、何をなすべきかを知るのに、学問も哲学もまったく必要とせぬということ。・・・・・・通常の悟性は、哲学者と全く同様に正しい理解に到達できるという抱負をもつことができるのであり、それどころか、この点では哲学者自身よりも確かだとさえいいうるほどなのである。・・・・・それゆえ、道徳の個々の問題については、通常の人間悟性だけで十分だと考え、哲学をもち出すのはたかだか道徳の体系をいっそう完備したわかりやすい形で、かつ道徳の規則を実用のために便利な形で、示すためだけに限り、実践的見地で通常の人間悟性をその幸福な素朴さから離れさせ哲学により探究と知識獲得との新たな道に向かわせようなどとすることはやめたほうが良いのではないかと思われる。”(『道徳形而上学原論』/野田又夫訳)

長い引用になりましたが、話をすることと話を聴くことに置き換えてみます。

哲学というとどうしても、言葉で真理を言い表すことだと思いがちでが、そもそもその昔、哲学は「対話」とともに始まったといいます。そしてそれは、話すことではなく、むしろ聴くことから始まったというのです。

古代ギリシャの哲学者 ソクラテス は、街頭に出て対話を繰り返したといいます。それは、自分が語りだすというより、他人の言葉[ロゴス]を聴くことで導き、真の知に至りつくその手助けをする---「産婆術」といわれる---そいうい媒介者にじぶんをなぞらえました。(みずからは一冊の書き物も残さず、プラトンが後に書物にまとめました。)

つまり、人の話を聴くことをして、話し手の本質に注意を向けさせるだけでよいのです。

話をすることで、人は自分の内面に注意を向け、その本質に気づくことができるのです。
つまり人の話を聴くことは、まさにそれを導き出すことであり、それゆえ「産婆術」といわれるゆえんでもあるのです。

語る,諭す,教える,知識を与えるという、他者に働きかける行為ではなく、論じる,主張する,意見をいうという自己表出の行為でもなく、<聴く>という、他者の言葉を受けとる行為、受けとめる行為の深い深い意味が、ここにあるのです。



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