黙りあい

「彼等はつぎつぎと話相手をかえては、より深いコミュニケーションを求めて裏切られてゆく。そして、沈黙も饒舌も失ってスキーキング・マシーンのように「話しかける」ことと「生きること」とを混同しながら年老いてゆくのである。」(東京零年:寺山修司)

沈黙が死んでゆく・・・黙っていられない人たちが増えていく・・・、寺山修司は、いま失いかけているのは「話しあい」などではなく「黙りあい」なのではないか、と問うています。

”しゃべればしゃべるほど空しい気分になる経験、それを押し殺してしゃべるのが人生だ、と言うつもりはないが、ことばがまことのそれであって空語でないという確信を、ひとはどういうときに得るのだろうか。
 意が伝わらないもどかしさにしだいに声を荒げるひと。かれの声が大きくなるにつれて、そのもどかしさはかえって目立つことはあっても、消えることはない。
 逆に、深い沈黙のなかで、ひとは語りつくすことに劣らぬ濃密な交感にひたることもある。”

生まれ育った小さな島に高等学校が無かった私は、中学卒業後に親元を離れました。
そして、一ヶ月に一度、実家に帰省していました。当時、私の家族は親戚と夕食を共にしていました。3歳上の親戚の兄ちゃんは、島で漁師をしていました。子供のころは、よく遊んでもらいました。基本的に、その兄ちゃんも私も、口数のすくないほうです。海の男は、寡黙なのです(笑)
久しぶりに会っても、会話を交わすことなく、黙々と一緒にご飯を食べています。
そんな光景を見て、おばあちゃんが笑っていいました。
 「おまえたち二人は、久しぶりに会っても、”元気でやっとるか?”と黙って目でしゃべってるだけだなぁ。」と・・・。
そう、その時の私は、黙ってただ相手の存在を意識していただけでした。

東京にきてからは、このようなことがなかなかできなくなりました。
言葉でしゃべらないと相手に伝わらないからなのか、相手の気まずさを感知して、それによってこちらも気まずさを感じてしまって、そわそわしてしまうことが多くなりました。

もういちど、あるがままの自分を取り戻さなければいけないなぁ、と感じています。



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