ことばのふれあい

「からだ」と「ことば」のレッスン (講談社現代新書)「からだ」と「ことば」のレッスン (講談社現代新書)
著者:竹内 敏晴
販売元:講談社
発売日:1990-11-16
おすすめ度:5.0
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「ただ人がひとりひとり自分のからだに気づき、まっすぐに立ち、向かいあい、触れあうことをめざして探ってきた試みであり、いわば、ひとりの人間となって鮮やかに立つことへと常に歩み出していく手がかりにすぎない」
(竹内敏晴:講談社現代新書『「からだ」と「ことば」のレッスン』より)

この「話しかけのレッスン」は、声が届くという感じをまさに体験できるものだそうです。

その中で面白いのは、例えば距離が遠く離れているので一生懸命に声を届かせようと大きい声で話しかけたり、身を乗り出だしてなんとか声を届けようとすればするほど、その努力に反して声が届かなくなるということです。
逆に、あまりにも声がとどかないので、いらだって感情的になったとたんに、ズバッと声が届くこともあるそうです。

自分の声がうまくとどいている感じがしないとき、ひとは声をとどかせようとして、相手との隔たりをあらためて計量し、その隔たりに負けないような量の音声で呼びかけようとするが、そうそうればするほど、相手はじぶんがはなしかけられたという感じがしなくなるという哀しい事実が浮かび上がってきます。

ことばをとどかせようとして声を大きくしたり、身を乗りだしたりすればするほど声は届かなくなるというアイロニー、
ことばを伝えようと意識するよりも、ことばが伝わらないことにいらだって衝動的に発した濃やかさを欠いたことばのほうがきちんとつたわるという哀しいアイロニー、
そして最後に、話しかけたい相手との距離を測って声量をコントロールすればするほど、相手はじぶんにはなしかけられているという気がしなくなるという、二重に哀しいアイロニー・・・・・このようなアイロニーはなぜ発生するのでしょうか?

竹内敏晴氏は、”距離を意識した瞬間に、もう終わっている”と分析しています。

つまり、自分の声が相手に届いていないのではないだろうかと意識した瞬間に、もう声は届かなくなってしまっているのだとおもいます。そしてそれは、ふたりの間のシンクロニズム(共時性)の世界がとぎれてしまったことによるものなので、もう声量の問題で解決できるものではないのでしょう。

「話し言葉のもっとも基本的な問題」がここに隠されています。

ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)
著者:竹内 敏晴
販売元:筑摩書房
発売日:1988-01
おすすめ度:4.5
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