ことばが届くということ

路上でふと名前を呼ばれてドキッとしたことがありますか?

でもすぐに、気配で、だれかが同じ名前の別人に声をかけていたのだとわかる。
逆に、名前を呼ばれたわけでもないのに、誰かが後ろからじぶんに語りかけていると感じることもある。何度も何度も呼ばれているのに、ぼ〜っとしていてその声に気が付かないこともあるし、話しかけられる前にふとそんな予感を感じて先に耳を傾け始めることもある。

ことばが、まるでそのひとにふれるかのように、そのひとにとどくというのは、
一体どういうことなのでしょう?

これも「眼がかちあう」と同じように、音をたてる物、振動している物と、耳や鼓膜との関係といった、単なる物理的な関係として合理的に説明できるものではないのでしょう。

声がぐさっと突き刺さる、声が甘くて気持ちいい、声が執拗にまとわりつく、ガラガラ声が皮膚を掻きむしるようだ、優しい声に癒される。

このようは言い回しは、何かに例えた比喩的な表現というよりもむしろ、そのようなありのままの感覚を素直に表現した言葉なのだと思います。

「ことばが届く」というこの感覚は、そのことばが「だれか」に向けて話されたということ、そのことの大切さを意味しているとおもいます。そう、それは存在しないひとに向けて話されたことばではなく、特定の「だけか」に向けて話された言葉だという事実。

だれかに話しかけられるだろうか、あのひとは声をかけてくれるだろうか、このことばはかれに届くのだろうか、わたしのことばはあのひとに受けとめてもらえるだろうか・・・。

このようにこころ想う日常の中で、「話を聴く」という相手の言葉を受けとめる行為が、おもい煩う人にとってどれほど心強いものになるだろう。

おもいとどかない99%が運命であったとしても、残りの1%に夢を託してしまいます。


おすすめの本 → 鷲田清一さんの本一覧

鷲田 清一
Amazonで詳細を見る by AmaGrea


このエントリーを含むはてなブックマーク livedoorクリップ Yahoo!ブックマークに登録            

« 鏡のテオーリア | ホーム | 雨声 »

ライフプランTips

キャリアプランニングTips

コーチングTips

傾聴Tips

このページの先頭へ