ことばと沈黙

”あるひとが目の前に居る。その間に交わされることばはない。ふたりの間の沈黙。それが、深い沈黙、厚い沈黙とでもいうべきものであって、会話の不在でないというのはどうしてなのだろう? ことばの不在が空虚ではなく、おしゃべり以上に充実していることがあるのは、どうしてなのか。
 一方で、ひとはふつうことばの不在を恐れる。ことばが途切れたとき、そしてどちらからもとっさにその不在を埋めることばが出てこないときの気まずい沈黙。そのとき、なにかそれまでの関係がすべて作り物であったかのように、色褪せてくる。他者の親密な感触というものが、あっけなく崩れる。その不在の前で、じぶんの存在すらも、へちまのようにすかすかになっている・・・。
 ひとはこういう空虚に耐えきれず、どうにかしてことばを紡ぎだそうとする。かれが話しているのかじぶんでもよくわからないようなことばが、次から次へと虚空に向かって打ち放たれる。しかし、そのことばは相手に届くことなく、かといってじぶんのもとへ戻ってくるわけでもなく、ただ空しい軌跡を描くばかり・・・。そして、ことばではなく、その不在だけがしらじらとあらわになってくる。そしてじぶんは、一刻でもはやく、その場を逃れたがっている”

神戸に向かう電車の中で感じた沈黙と、いっぽうで間が持たず落ち着かない沈黙。
人の話を聴くときにとても重要になってくるのは、この「沈黙」を大切にすることではないでしょうか。

現代は、「沈黙」するということが、上手くできない人が多くなっているように思います。


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